内田樹が語る貧困問題――貧困解決には「持ちだし覚悟」の中間共同体 … – BLOGOS

Home » 質屋 » 内田樹が語る貧困問題――貧困解決には「持ちだし覚悟」の中間共同体 … – BLOGOS
質屋 コメントはまだありません



 人口減少問題は、社会の貧困や格差を加速化させるのだろうか。思想家・内田樹氏は「持ち出し覚悟で、リターンなし」のマインドから立ち上がる相互支援の共同体こそが解決の鍵になるという。共同保育から合同墓まで、内田氏のまわりで実際に行われている相互扶助の実践から「人口減少社会」への処方箋を示すインタビュー第2弾。

前回「内田樹が語る高齢者問題」より続く

◆◆◆

分配がフェアであれば、貧困にも耐えられる

――内閣府の発表によると、日本の子どもの相対的貧困率はOECD加盟国34か国中10番目に高く、別の調査では、高齢者単独世帯における男性の相対的貧困率が29.3%、女性は44.6パーセントにも及びます。人口減少は貧困をより深刻化させるのでしょうか。


©文藝春秋

内田 経済が右肩下がりになる中でこうした数字を聞くと、たしかに悲観的な気持ちになるのかも知れません。でも、経済指標の数値と人の幸不幸というのは完全な相関関係にあるわけじゃありません。問題は「分配方法」なんです。分配がフェアであれば、貧困にも耐えられる。分配がアンフェアだと、わずかな格差でも気に病むし、それによって傷つけられもする。そういうものです。

 僕たちの子どもの頃の日本の貧しさは、いまの若い世代には想像もつかないと思います。僕が小学校に入った年の夏休み前の校長先生の訓示は「いくらお腹が減っても、買い食い、拾い食いをしてはいけません」でしたからね(笑)。僕が子どもの頃、何か欲しいものがあって「買ってよ」というとほぼシステマティックに親に拒絶されました。「うちは貧乏だから」というのが母親の決まり文句でした。

「どうしてうちは貧乏なの?」と訊くと、ぴしゃりと「戦争に負けたから」で話が終わった。そう言われたら、それ以上ごねようがない。それでも何とかなっていた。それは1950年代の日本人の貧しさは、関川夏央さんが言うところの「共和的な貧しさ」だったからです。乏しい資源を地域共同体で均等に分かち合い、助け合って生きてくという心遣いがありました。

――『ALWAYS 三丁目の夕日』のような世界ですね(笑)。

共同体は簡単に成立し、簡単に消滅する

内田 僕が育ったのは東京の大田区の多摩川沿いの工場街です。僕の住んでいた町にはもともと地域共同体らしきものはなかった。川岸に軍需工場がたくさんあったので、その下請け孫請けの町工場がひしめき、そこで働く人たちが集住していたエリアです。空襲で工場はあらかた焼けてしまった。その廃墟に雑草が生い茂り、遠目に見ると野原のように見えるんだけれど、近くに行って見ると、焼け焦げた鉄骨や崩れたコンクリートの土台や、ガラス片が飛び散っていた。

そんなところにまともな地域共同体なんかあるはずがない。戦後、日本各地から仕事を求めて上京してきた人たちが、そこに安普請の家を建てて、肩寄せ合うように暮らしていた。だから、隣人たちと言っても、出身地が全員違います。方言も食文化も生活文化も違う。そういう隣人たちが、貧しいもの同士、互いに食べものを融通したり、質屋通いの仕方を教えあったり、子どもを預けたり、預かったりして、暮らしていた。

 でも、1964年の東京オリンピックの頃から、地域からそんな「共和的な貧しさ」が失われてゆきました。貧富の差が出てきたからです。ほんとうにあっという間に親しみに満ちた地域共同体が崩れていった。そのスピードには子どもながら驚きました。まず小金を手にした家がブロック塀を建てるんです(笑)。

他の家よりも早くテレビや電気冷蔵庫が入ったのだけれど、近隣からの嫉妬のまなざしを防ぐために、塀を立てて扉を閉ざした。別にたいした格差じゃないんですよ。いずれ、どの家にもテレビも電気冷蔵庫も入ったわけですから。でも、電化製品の導入のわずかな遅速だけで、そこに生じたわずかな嫉妬心の兆しだけで、地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体というのはずいぶん簡単に崩れるものだなということをその時に痛感しました。

 でも、それが残した教訓は悲観的なものだけではありません。なるほど、共同体というのはけっこう簡単に成立し、けっこう簡単に消滅するのだということを子どもの時に学んだ。僕はこの経験から「出自も違う、職種も違う、学歴も違うという見知らぬ人たちでも、肩寄せ合って生きなければならないという事情があれば、ちゃんとそれなりの共同体を形成できる」ということを学びました。ものごとはダークサイドもあれば、サニーサイドもある。

 これから先、日本はゆるやかに定常経済に移行してゆくと僕は予測していますけれど、もう一度人々が「共和的な貧しさ」のうちに置かれるようになれば、相互扶助的な共同体はまた必ず再生すると思います。現に、僕が主宰する凱風館まわりでは、すでに数百人規模の相互支援共同体ができています。

凱風館まわりの共同体がうまく回っている理由とは

――どのような相互支援が行われているのですか。

内田 凱風館の活動は武道の稽古と寺子屋ゼミがメインですけれど、スピンオフで寄席をやったり、聖地巡礼したり、餅つき大会をやったり、BBQやったり、海の家をやったり、スキー旅行に行ったり、いろいろな「部活」を展開しています。それが楽しいので、そういう楽しい活動にフルエントリーしようとする門人たちが次々と凱風館の周りに部屋を借りて住み出した。

そしたら、いつの間にか地域共同体ができてしまった。門人たちは出身も性別も年齢も職業もばらばらですけれど、とりあえず全員が凱風館という道場共同体に属している。条件はそれだけです。僕の子ども時代の町内共同体とそれほど変わりません。

 相互扶助がうまく行っているように見えるのは育児ですね。子育てをお互いに支援している。子どもたちを集めて、共同保育をやりたいといってきた夫婦がいたので、僕が少し資金を出して、近くに三階建ての一軒家を借りて、「海運堂」という多目的スペースを立ち上げました。そこに4人家族が暮らしつつ、自宅をさまざまな活動のために開放している。そこで共同育児やこども食堂、子どもたちが粘土で陶器を作る教室や、着付け教室や囲碁教室を開いています。最近になって「憲法カフェ」という活動も始めました。いろいろなゲストを呼んできて、主婦たちが集まって憲法の勉強をしています。

 小さい子をもつ母親たちが集まって育児を共同的にやるというのは、ほんとうに良質な実践だと思います。子育てが終わった主婦たちも、今度は自分たちの手が空いたからと言って、そういう場に参加して、若い母親たちをサポートしてくれる。若い門人たちも、そういうところに行くと赤ちゃんと遊ぶことができるし、おしめ替えたりする手伝いもできる。

――それはすごくいい体験ですね。





コメントを残す