秋葉原、420万人の外国人観光客を惹き付ける「三層構造」の街づくりの秘密 – BIGLOBEニュース

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高度成長期から現代まで、秋葉原はどのように発展してきたのか?  #1 で話を聞いた家電量販店の老舗「オノデン」現社長・小野一志さんは、この街の変化の特徴を、全てが入れ替わるのではなく「地層のように重なり合って」変容していくと表現したが、その“地層”こそが秋葉原の活性化の原動力になっている。

出典:「文藝春秋」2017年9月号・全3回

アキバの3つのゾーン

 その地層を「通りごとの三層構造」と説明するのが、一般社団法人日本コンピュータシステム販売店協会専務理事の松波道廣さんだ。

 まずUDXなどオフィスビルが並ぶ「再開発エリア・オフィスゾーン」。

 秋葉原を南北に走るメインの中央通りの「専門店ゾーン」。

 そして中央通りと西側の昌平橋通りに挟まれた、細い通りが何本か走る「超専門店・新文化創造ゾーン」だ。

 これらのゾーンではお店の種類も違うし、どことなく歩いている人の顔まで違うようにみえる。

「再開発エリア・オフィスゾーン」ではレストランもグルメ志向のお店が多い。ベルギービールの店で飲んでいると、外のテラス席でサングラスを頭に掛けた洒落たカップルが微笑み合ったりしていて、恵比寿のようだ。

 中央通りの「専門店ゾーン」は、今の秋葉原のメイン文化であるアイドルとアニメをテーマにしたお店が並ぶ。「AKB48劇場」、アニメ・漫画などの専門店で有名な「とらのあな」。客の年齢層も他のゾーンに比べて若く、男性だけでなく女性も多い。外国人観光客が目立つエリアでもある。ちなみにNPO法人秋葉原観光推進協会による日本政府観光局の発表した数字にもとづく計算によると、2015年に秋葉原を訪れた外国人観光客は約420万人という。

「超専門店・新文化創造ゾーン」はパソコンのパーツなど、1990年代の秋葉原の名残を強く残すお店が集まっている。またウエイトレスがメイド風の衣装で接客するメイドカフェも多く、新しい流行の発信基地のようなエリアだ。

 私は日曜日にこの裏通り一帯を歩くのが好きだ。

 廃墟になったビルの1階をぶち抜いて、カタコトの日本語を話す中年女性が壊れたコンパクトデジタルカメラを500円くらいで売っている。壊れたデジカメなんて買ってどうするのかと思われそうだが、実はカメラ店で新しいカメラを買うとき、中古カメラの下取りサービスをやっていることがあり、壊れたカメラでも持っていくと1000円ぐらい値引きしてくれる。つまりここで買った500円の壊れたカメラが新しいカメラを買うときに1000円の「金券」に化ける、というわけである。

 松波さんは、このゾーンには「起業家が集まりやすい」という。

「ここのお店が成功すると、中央通りに出てきて大きく店を構える。その構造が秋葉原の特徴で、面白いところですね。私は三層構造が秋葉原を活性化させていると考えています」

 他の街なら、再開発の際にこういう小さな裏通りは最初に潰されて真っ平らになってしまう。それが秋葉原では残った。

「秋葉原では駅前の一等地がすぽっと空いていたから、裏通りが手つかずに残されたんですよ」(松波さん)

 駅前の一等地とは、今のUDXなどがあるゾーンである。ここには1989年まで、青果市場、いわゆる「やっちゃ場」があった。それが1990年に大田区に移転し、そのままぽっかりと空いているところに、ビルが建てられたのである。

 それぞれの「地層」の年代は、松波さんの分類を参考にすると大まかに次のように分けられる。

(1)ラジオの時代(1950年代)

(2)無線・家電の時代(1960年代)

(3)オーディオの時代(1970年〜80年代)

(4)パソコン・ゲーム機の時代(1990年代)

(5)ポップカルチャーの時代(2000年代)

(6)海外向け免税店の時代(2010年代)

 私はいま53歳だが東京に来るのが遅かったので、親しんだ秋葉原は1990年代のパソコンの時代からだ。

「ラジオの時代」の名残は、JR秋葉原駅横のラジオセンターで見ることができる。GHQから追い出された露天商たちのいわば「末裔」で、畳一畳ぶんほどのスペースでトランジスタ素子などの電子部品や、特殊な工具などを扱っている。狭い路地裏のハイテク商品というリドリー・スコットの映画のような雰囲気で、外国人観光客にも人気がある。

汚くて怖い街だった

「小学生のころ、あそこでよく父親の手伝いをしていましたよ」

 というのは、東洋計測器グループ社長の八巻秀次さん。東洋計測器は67年前、ラジオセンターで八巻さんのお父さんが創業した。

「お店のスペースが狭いから、在庫がおけず、ひとつ商品が売れると近くの倉庫まで取りにいく必要がありました。でも通路も狭いし人も混んでいるので、小さな小学生の私の方がさっさと路地を進めるんですよ」

 子ども心にも秋葉原は魅力的だったのか。八巻さんは、

「いや、汚くて、怖くて、嫌いな街でしたよ」

 と笑いながら手を振る。

「大人が乱暴なんだよね。部品を売っている人たちもね。なんでこんなキツイ言い方するのかなってぐらい。売っている人の方が詳しいせいかもしれないけれど、子ども心には、いばっているように見えた」

 八巻さんが会社を継いだのは33年前、29歳のときに創業社長の父親が亡くなったからだ。興味深いのは八巻さんは次男坊で、他にも秋葉原の古株の会社で後を継いでいるのは次男、三男が多いという。

「父親世代は叩き上げの商人だから、一流大学出たエリートサラリーマンみたいなものに逆に憧れてたんじゃないの? うちの息子は、早稲田、慶応出て、どこどこの商社に入ったとか、医者にしたとか。で、次男、三男には『お前は会社継げ』って感じ。僕の周りの社長連中は次男三男ばかりで、みんなでひがんでますよ。笑い話ですが、はは」

 UDXと中央通りの間、ドン・キホーテの向かいにある喫茶店「タニマ」のマスター、金子五郎さんも1960年代の学生時代からよく秋葉原に来て、新製品を眺めたりするのが大好きだったという。現在80歳、今の喫茶店を始めたのは36年前。

「その前は中野であんみつ屋やってたんだけど、潰しちゃってね」

 と笑う。今の店を開いた当初は、電器店の店員がお客さんを連れてきてローン契約の手続きをしたりしていたそうだ。私も1990年代からこの店にはよく来ていて、「白物家電売って30年」みたいな風格のある店員さんが、旨そうに煙草を吸っていた光景を覚えている。

「あとやっちゃ場で働いているお客さんも多かったねえ。あの人たち朝が早いから、午前7時くらいからもう店の前でならんでんだよ。入ってくると、でかい声で『おいっコーヒー3つ! モーニング付けてな!』。やっちゃ場が大田区に移転したとき、付いていこうかと思ったんだけど、朝早いのが苦手だからここに残っちゃった」

 今はUDXで働くビジネスマンや買い物客がくる。たまにアイドルファンの男の子たちが10人など団体の予約で来て、店でコンサートの声援の打ち合わせをして出陣していく。

「でも秋葉原は楽だね。客に愛想ふりまかなくても、適当にほっといたらそれでいいんだもん」

 ちなみに「タニマ」とは「山の谷間に水が集まるように、お金が集まりますように」という願いから名付けたそうだ。ビルの谷間にあるからと思っていて失礼しました。

メイドはドジっ娘がいい

 2000年代のポップカルチャー地層に登場し、今も秋葉原で存在感を放っているのがメイドカフェである。メイド風の衣装を着て、ウエイトレスの女の子が接客してくれる。秋葉原から始まり全国に波及し、いまや海外にも同様のコンセプトのカフェがある。

 その秋葉原で多店舗展開しているのが、「トイグループ」。中央通りのビルに「秋葉原にはトイグループがある」という巨大な懸垂幕を下げて、街中の話題になった。ネットで検索しても詳しい正体はわからない。ネットでは「風俗産業グループが経営している」「暴力団絡みでは」などと、変な憶測が様々飛んでいた。今回、秋葉原の関係者たちの縁を頼って、グループの代表者に会うことが出来た。

 名前は影山宗一郎さん。待ち合わせ場所として例の懸垂幕の下を指定され、そこにスタッフが迎えに来た。案内されたのは雑居ビルの5階、小学校のような教室だ。前に黒板があり、小さな椅子に影山さんが座っていた。

「ここ、私が経営している声優学校なんですよ」

 巨大な体躯に首にネックレス。押し出しの強い風貌に気圧されるが、

「私についてネットに書かれているのは根も葉もないウソですよ」

 と笑う。

——あの懸垂幕は驚きました。

「2年前の10月1日(トイの日)に作りました。ちょうどメイドカフェが増えてきたので、メイド喫茶のグループのトイグループがあるということを全面的に押し、秋葉原をうちのグループが面白くしていきたかった。出したあと、『勢いあるね』とか『これはなんなの?』とか、いろいろ言われました。

 新しいことをしている外部からきた者と認知されてしまったのか、メイドカフェの経営者の集まりに僕は呼ばれたことはありません」

 そういってエナジードリンクをお代わりした。

 秋葉原にカフェをオープンしたのは5年前。それからたちまち9店舗を運営するまでに成長した。

「もともとメイドカフェにそんな興味があったわけではなかったんですよ。たまたま路上でメイドカフェのチラシをもらって入ったら、面白かった。ウエイトレスの女の子と客の距離感が特殊で、キャバクラやガールズバーのように近くなくて、たまに客と話をして、また離れていく。喫茶店としての進化型だなというイメージです」

 メイドカフェ経営のノウハウは、「女の子の個性を大事にしてあげる。たとえば飲み物を運んでいる途中でひっくり返したら、他の喫茶店だとお客さんからこっぴどく怒られるじゃないですか。でもメイドカフェでは『ドジっ娘』で面白がられる。すっごい不味い飯を作っても、『うん、特殊な味だね』で許される。むしろそれが個性でキャラ立ちしてお客さんから面白がられるんです。本当にやりすぎのときは注意もちゃんとします」

メイドさんもたくさん ©共同通信社

「ドジっ娘」とは、失敗(ドジ)を繰り返す女の子のことで、オタク文化では好まれる個性のひとつである。

 メイドカフェではウエイトレスのひとりひとりが「めぐみ」などと手書きのネームプレートを付けて接客する。飲食物を運ぶだけでなく、お客さんに話しかけて、友達の雰囲気をつくる。たまにトランプゲームなどもする。女の子とちょっとした会話を楽しむ、友達の関係になれる。だからそこできっちりサービスがあると、個性が無くなり面白さや楽しさが生きてこない。

 面白いことに、外国人観光客にもこの傾向があるという。外国人観光客にメイドは「コスプレイヤー」として人気があり、路上でチラシを配っていると写真を撮られまくる。

「外国の人は、メイドさんがカタコトの英語で一生懸命話し掛けてくれる姿に萌えを感じるそうです。ペラペラ英語を喋られると普通のカフェになってしまう」

 メイドカフェはただ女の子にメイドさんの格好をさせればいいわけでなく、ちゃんと「オタク心」を突かなければならない。飲食業であり、感性ビジネスなのである。

 秋葉原では年内にあともう一店舗の出店を計画している。

「秋葉原は物件が空きにくいです。飲食店ができるような物件はとくに。賃料もいま下手すると銀座くらいじゃないですか。一階で立地のいいところは坪6万とか7万とかしますから」

——それでもまだ業界として伸びていくと?

「うーん、どうなんでしょうね。私が起業したのは18歳で、起業ブームの世代なんですよ。でもそのときの起業家仲間で残っている人はほとんどいません。自分は欲張らないから残ったと思っています。もともとはすごい強欲なんですが、楽しいことが大好きで、慎重なところもあります。すぐ利益を取ろうと思わないで、楽しく育ててそれに利益がついてくる。今も秋葉原で自由に楽しくみんなで育てている最中です」

(#3秋葉原「ホコ天の人気者」元リトルノンこと永野希が語った「新しい秋葉原」に続く)

(神田 憲行)





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