裕ちゃんラストサマー 31日閉館 記念館は待ってるぜ – 東京新聞

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 昭和を代表する大スター石原裕次郎さん(一九三四〜八七年)ゆかりの品二万点を集めた北海道小樽市の「石原裕次郎記念館」が今月三十一日で閉館する。裕次郎さんが社長を務めた石原プロのグループ企業が運営してきたが、施設の老朽化やファンの高齢化に伴う来館者の減少で、将来的に存続が困難になると判断した。今年は裕次郎さんの没後三十年。多くのファンに惜しまれつつ、記念館は姿を消す。 (池田知之)

 記念館は九一年七月、裕次郎さんが幼少期を過ごした小樽にオープン。裕次郎さんの衣装や映画ポスター、愛車のメルセデスベンツやロールスロイス、映画「黒部の太陽」のセット、テレビドラマ「西部警察」で使われた車両、裕次郎さんのレコードジャケットなどが展示されている。

 開館翌年の九二年には、年間百二十六万人が来館。その後も十年ほどは毎年約百万人が訪れたが、近年は二十万人台に低迷していた。

 一方で建物や映像機器、ボイラーの老朽化が進み、修繕や更新に一億円以上がかかるため、運営会社は昨年八月、今月いっぱいでの閉館を決めた。浅野謙治郎館長(69)は「まだ三、四年は続けられるが、それ以降は分からない。裕次郎さんのイメージも守らないといけない」と明かす。

 二十三年ぶりに訪れたという那覇市の女性(71)は「前に来た時は混雑していて人の列に流されるように展示品を見たのですが、今はゆっくりと回れる。裕ちゃんが活躍した当時を知る人が減る中、閉館も仕方ない」と残念がる。

 閉館発表後は駆け込み来場が増え、入場者数は前年同期比で八割増。それでも地元自治体の補助金などを受けていない同館の運営は入場料収入が頼りで、閉館の決定を覆すまでには至らなかった。小樽市観光振興室は「記念館は市の観光に大きく寄与してくれたが、継続のために公金を充てる考えはない」と話す。

 浅野館長は「続けたい思いはあるが、惜しまれて散るのが花。裕次郎さんだから二十六年間も続けられた」と振り返る。閉館後、所蔵品のほとんどは裕次郎さんの妻で元女優のまき子(旧芸名北原三枝)さんの自宅や石原プロのある東京に戻される。ロールスロイスは小樽市に寄贈され、市総合博物館に展示されるという。

◆没後30年 輝き今も

 浅野謙治郎館長は「閉館一年後をめどに『全国縦断 石原裕次郎遺品展』を東京・銀座から始めます」と明かす。長年、距離や体調の都合で記念館に行けないという手紙が寄せられていたといい、石原さんの妻まき子さんが「閉館後はこちらから出向きましょう」と発案したという。

 一方、テイチクエンタテインメントは裕次郎さんの没後三十年特別企画として映画「俺は待ってるぜ」など出演作の名シーンとヒット曲を収めたブルーレイ「スクリーンメモリーベスト」と、人気曲を集めた二枚組みCD「石原裕次郎ベストヒット30」を発売した。朝日新聞出版は、出演映画のうち九十三作を一作ずつ振り返っていくDVD付き雑誌「石原裕次郎シアターDVDコレクション」を創刊した。

 なぜこんなにも愛されるのか。同誌で解説を執筆した娯楽映画研究家の佐藤利明さんは「デビューの一九五六年は経済白書が『もはや戦後ではない』と記した年で、古いことを壊していい時代になった。裕次郎さんは“反逆児”であり続け、野球の長嶋茂雄さんと並び立つ国民的スターになった」と語る。

 「不良なのに好青年」というイメージを生かす映画を日活が作り、テレビの時代になっても「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」とヒットを連発した。

 佐藤さんは言う。「アクションを精いっぱいやるのではなく“さまになる”を本能的にできてしまう。歌も無理せず、ふーっと歌う。『裕ちゃんが歌うような歌』がムード歌謡というジャンルになった。見た目だけでなく、何をやってもトップを走れてしまうかっこよさがありました」

<いしはら・ゆうじろう> 神戸市生まれ。慶応大在学中の1956年、兄慎太郎さんの芥川賞受賞作を映画化した「太陽の季節」でデビュー。同年、2作目「狂った果実」で初主演し、後に妻となる北原三枝さんと共演した。映画の役柄のままに主題歌も歌い「夜霧よ今夜も有難う」「銀座の恋の物語」など多数のヒット曲がカラオケの定番として歌い継がれている。

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