庄司 陽子さん(漫画家) お米作りの苦労を実感 人生の最後に卵かけご飯 – 日本農業新聞

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 け出しの20歳くらいのころはお金がなかったから、講談社(出版社)に行って、編集者にご飯をごちそうになっていました。昼食時を狙って行くんですよ(笑)。喫茶店に連れて行ってもらって、ドライカレーを食べていました。

 当時は、週に3回は講談社に行ってました。喫茶店では「いつもの」と頼むんです。これが気持ちよくて(笑)。

 うちは、お父さんとお母さん、それに行かず後家の姉が2人の5人で暮らしていて、実家が狭かったんです。

 当時は墨汁で描いていたから、原稿を家中で乾かしていました。ある日、お父さんがコーヒーをこぼしちゃったんですよ、原稿に。それで友達の家に逃げ込んだ。そこから「家を出る」って電話をかけたんです。

 お金もないのにアパートを借りて、一人暮らしを始めました。でも夕方には実家に行って、お風呂に入って夕飯も食べる。戻って徹夜して原稿を描いて、眠らずに講談社に行く。一日の最初の食事がドライカレーって暮らしが続いたんです。

 高校生の時にデビューしたんですけど、その後が続かなくて。毎月4本作って、8カ月間連続で持ち込んだけど、全部ボツ。編集者には、「嫁に行ったら」とまで言われました。

 れがね、売れ出してからは一変。私、25歳の時、五反田(東京都品川区)にマンションを買いましたもん。もう講談社に行くこともなくなりました。編集者が、私の家に原稿を取りに来るからです!

 でも月に250枚以上描くので、忙しくて忙しくて。ストレスの発散は買い物。タクシーに乗ってラフォーレに行ってワーーッと買って、その後に鉄板焼きなんか食べたりする。

 私、お金を残そうなんて気持ち、全然なかったんです。原稿料が入ればドンドン使えって。そんな私を見た里中満智子先生には、「あなたは最後、ボロボロの服を着て、『私は昔、漫画家だったのよ』とつぶやきながら、道路に絵を描いてるわよ」なんて言われました(笑)。

 アシスタントを連れて10人くらいで、資生堂パーラーの最上階で食事をしたこともありました。「一番高いワイン、2本出して」って。このワインがおいしかったのよ。そりゃそうよね、1本30万もするんだから。結局その晩は、100万円使いました。40年前に100万円!

 乏暮らしもぜいたく三昧もした上で、「人生の最後に何を食べたいか?」と聞かれたら、卵かけご飯と答えます。

 私は、千葉県茂原で生まれ育ちました。子どもの頃に夜店でヒヨコを買ったら、それが珍しいことに雌。育てて雌鳥になって、卵を産むようになったんです。まだ血がついているような卵を、私が取ってくる。そんな経験があるんです。

 その後、お父さんの転勤で栃木に行きました。小学5年生の時に、自宅で稲を栽培するという課題があったんです。苗床から苗をもらい、社宅の庭に作った1メートル四方の田んぼに植えて、育て、稲刈りをしてそのお米を食べる。

 雑草を取り、ずいぶん苦労して、ようやくできたお米。ご飯を炊いた時には感動したけど、家族で食べたらあっという間。その時に思ったんです。国民全員が一年中食べるお米を作るには、どれだけの苦労があるのか、と。だから、どんなぜいたくをしても、ご飯を粗末にしてはいけないと思っていました。

 卵とお米。人生の最後に、自分が経験したこの二つをいただければ本望よね。(聞き手・写真 菊地武顕)

<プロフィル> しょうじ・ようこ

 

 1950年千葉県生まれ。68年に『海とルコックちゃん』でデビュー。77年から掲載が始まった『生徒諸君!』で講談社漫画賞受賞。映画化、ドラマ化、アニメ化される大ヒットとなった。81年連載開始の『Let’s豪徳寺!』も映画化。現在、『生徒諸君!最終章・旅立ち』を連載中。

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