廃家電を“お宝”に変えるリユース業界随一の浜屋はなぜ社員が気持ちのいい挨拶をするのか? – ニフティニュース

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浜屋(埼玉県東松山市)の社員の挨拶は気持ちがいい。初めて会う記者にも「こんにちは!」「ご苦労様です!」と礼儀正しく声をかけてくれる。

浜屋は中古家電の買取り業者。「中古家電を無料で引き取ります」とアナウンスしながら車を走らせている回収業者(業界用語で『買い子』)を街中でよく見かけるが、そこで回収された家電は浜屋のような買取り業者が買い上げ、輸出販売されることでリユースされている。

その中でも浜屋は世界30ヵ国に向けて年間3千本近くのコンテナを輸出する業界随一の企業だ。

営業日には店の前に買い子の車が並び、AV機器やオーディオ、ゲーム機など、社員たちが品別に次々と捌(さば)いていく。液晶テレビ、CDプレーヤー、ラジカセ、エアコン、パソコン、アンプ…。これらが天井までびっしりと積まれる様は壮観だ。

現場で仕分け業務に追われる中、買い子にも郵便配達員にも宅配業者にも、浜屋の社員たちは気持ちのいい挨拶を欠かさない。これを褒(ほ)めると、小林茂社長(63歳)は嬉しそうに返した。

「ウチに来るお客さんは、自分で気づいていないだけで、実は浜屋を喜ばせたいという気持ちがあると思うんです。人は金のためだけに働いているんではない。人に喜んでもらいたい自分というものを持っているんです。それに応えてあげたいと思うから元気に挨拶するし、公正な取引きをする。それがオレの理念。でないと、誰も幸せにならないですよ」

1991年に会社設立。今や国内で16店舗を展開し、売上高は年間100億円を超える。小林社長の「人に喜んでもらうために仕事をする」というブレない信念はどこからきているのか――。

小林社長はいわゆる苦労人なのかもしれない。高校を卒業してから独立するまでの8年間で15もの職を転々としてきた。だが、本人に言わせると「いやぁ苦労人なんて、そんな偉いもんじゃないよ」。

「別に何かを目指して転職を繰り返したんじゃないです。ただ続かなかっただけ。仕事を半年もやっていると、一体、何が悲しくてこんなことをしているんだという思いが沸き上がってきて、もう次の日には辞めるんです(笑)。社長に言うと引き留められるので、会社には何も言わないで急にいなくなる。夜逃げみたいなもんだよねぇ」

高卒後、初めての勤務先は東京の新宿駅近くの京王プラザホテル。ボーイとして勤めたが10ヵ月で辞めた。その後、喫茶店が1年ちょっと。タクシードライバーが半年。トラックの運転手は1年くらい。一番短かったのはキャバレーのボーイだ。ホステスが煙草を取り出したその瞬間にサッとライターを差し出さなかったことで、目の前でグラスを割られ、それを片付けろと言われたので、「バカらしい」と1日で辞めたという。

その後、26歳で結婚したのを機にもう一度、タクシー運転手として働き始めるが、やはり半年経つと「我慢できなくて」辞めた。

「でも辞めてから、やっと途方に暮れるわけです。結婚もしたのに俺は何をやってももたない、これじゃダメ人間になってしまうって」

そこで始めたのが金属類のスクラップ回収だった。

タクシー運転手時代は月に13日勤務、つまり1日おきだったが、その合間にスクラップ回収をしている同僚がいたので「オレもやってみるか」と、妻に投資してもらって中古の1.2トントラックを買った。どんな金属を取引きするかのノウハウはその仲間やスクラップ業の問屋の番頭から教えてもらった。

簡単にいえば、鉄や銅、アルミニウムなどの廃品を買い取り、スクラップ業者に売って、その差益で儲けるという商売なのだが…。

土木工事の現場に行けば、それなりに金属のスクラップは手に入った。だが、工事現場だけでは波がある。小林さんは大量のスクラップを安定して排出する工場に狙いをつけた。だが、すでに大手の買取り業者が入り込んでいて、自分が参入する余地がない。そこで…。

「工場に何十回もしつこく行くんです。そりゃ、最初はイヤな顔をされますよ。ある工場では社長の奥さんの顔が険しくてねぇ。でも、相手にどんな顔をされようがいつも心がけていたのはニコニコすること。邪険に扱われても、工場の庭のごみを拾って帰る。そしてまたニコニコして現れる。

それを何回も繰り返していたら、ある日、その奥さんがニコニコしているわけ。不思議に思っていたら、『1回だけなら持って行っていいよ』って。そのあとに私が提示した買取り額が他の業者よりもよかったみたいで、それからは日常的に取引きしてもらえるようになりました」

かくしてスクラップ業は軌道に乗り、「これなら食っていける」と思ったものの、そうはいかなかった。

1985年、先進5ヵ国(日本、アメリカ、フランス、西ドイツ、イギリス)の大蔵大臣らがドル高是正の方針を「プラザ合意」として決定すると、1ドル235円の為替レートは翌年に1ドル120円まで高騰。当然、この急激な円高で金属類の輸入価格は暴落した。

スクラップ業界では銅の買取り価格が1キロ320円から150円に、アルミニウムは200円から70円に下がり、小林さんら回収業者の売上げは激減。鉄に至っては価格の下落幅が大きすぎて商売そのものの存続が危ぶまれた。

しかしその時、小林社長にはひらめくものがあった。

その頃、台湾人が来日しては、スクラップとして出されている産業用モーターを買い取り、本国に運んでいた。捨てられた物でも日本製の中古モーターは新品同様に動く。質のいい物が中古というだけで安く買えることを見逃さなかったのだ。

とはいえ、日本人が捨てたもので本当に商売が成り立つのか? 半信半疑だった小林社長は一度、東京の晴海埠頭や月島埠頭に来るベトナム船に中古家電を持って行ってみることにした。すると、確かに売れた。特にビデオデッキや音響機器が人気だった。

「そこで香港に行ったんです。香港なら日本語を話す人もいるだろうし、中古家電の需要もあるはずだと見込んで乗り込んだわけ。香港で観光をしたいという知人も連れていってね」

ところが、これがとんでもなく甘い見通しだった。ほとんど英語を話せない小林社長とその知人が、誰か日本語を話せる人がいるだろうと宿泊先の向かいの通りの店を一軒一軒訪ねては「Can you speak Japanese?」と尋ねたが全滅。

しかも、香港で予約していたのは一泊だけ。そのホテルが翌日は満室だったため、二泊目の宿泊を求めて宿泊していたホテルでたどたどしく交渉していると、後ろから「どうしたんですか?」と心配そうに尋ねてきたのが日本人だった。来訪の目的を話し、英語が話せないと言うと、その日本人は「それは無茶だ」とすぐに通訳会社を紹介してくれた。

果たして小林社長は通訳の香港人に中古品街を案内してもらい、そこで裏に次の宿泊先のホテル名を書いた名刺と商品写真を配りまくる。

そこからすかさず、次は香港から直接ベトナムに飛んだ。ここでも運よく最初に乗ったシクロ(自転車タクシー)の運転手が日本語を話せる人だったり、知人のベトナム人がいたことでそれなりの成果を上げることができたという。

そしてベトナムから香港に戻ると、幸運にも中古品街で名刺を渡したふたりの香港人がホテルに訪ねてきたので、日本から送ることのできる中古家電の説明をし、人脈づくりに成功。そして帰国後、コンテナいっぱいの中古家電を香港に送った。

「すると、一発で全部売れたんです。向こうも『売れた! また送ってくれ!』って。これでもういけると思いましたね」

こうして小林社長は1991年に浜屋を設立。当時のメンバーは5人だった。

●この続きは次週、6月18日(日)10時に配信予定!

(取材・文・撮影/樫田秀樹)

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