岡崎 武志・評『音の糸』『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』ほか – 毎日新聞

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今週の新刊

◆『音の糸』堀江敏幸・著(小学館/税抜き1600円)

 世の中が騒がしいと、せめて本の世界では、静かな、いい文章が読みたい。おいしい水を飲むような読書ができれば……。堀江敏幸ファンの多くは、そうして出来上がっていくのだろう。初の音楽エッセー『音の糸』もまた。

 「犀の前で泣いた女」「傾いたシベリウス」「教えられるための火」「リヒテルとさんざし」と、詩的イメージのタイトルで、一編ごとに独立して読めるが、過去の記憶を音で呼び覚ますという点で連環してもいる。小さな楽章が合わさる交響楽といえばいいか。

 中学時代のI先生は詩人でもあった。音楽の授業も受け持ち、合唱では指揮を執った。ピアノを弾く女生徒に向かって、「ラの音をください」と言った。みごとな音楽指導をした、その先生の詩集のタイトルが『ラの音』だ。

 大学生協で買った中古レコードのモーツァルトと、同じ日、手に入れたヴァージニア・ウルフ。音の向こうに記憶があり、感性が呼び覚ます上質な文学世界。

◆『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』荒川佳洋・著(河出書房新社/税抜き2900円)

 河出書房新社は、反時代的企画の出版物を連打するが、荒川佳洋『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』にも、思わず「あっ!」と声が出た。

 富島健夫は生涯に約700冊の本を書き、「おさな妻」などヒット作もある大流行作家。純文学からジュニア小説、そして官能と変転する様を、文壇は黙殺、無冠で終わった。著者はそんな不運の作家が背負った運命と時代を、つぶさに調べ上げ、評伝に仕上げた。

 ジュニア小説でカリスマ的存在であったのが、40代でエロに鞍(くら)替えしたのはなぜか。その落差の背景に、富島作品を深読みし、隠された人生の哀しみを見いだす。継母の継子いじめ、私生児、親戚のたらい回しなど「特異な環境設定が多い」という指摘はその一例。

 富島はある文学賞の候補に挙がりながら、「もっと売れていない人に」と電話で辞退したという。自ら「無冠であることを選択した」と著者は見る。巻末に詳細な年譜を付す空前絶後の決定版。

◆『汚染訴訟』ジョン・グリシャム/著(新潮文庫/各税抜き上750円・下670円)

 ジョン・グリシャムは、『評決のとき』『ペリカン文書』など映画化もされ、日本でも多数の読者を持つ、リーガル・サスペンスの第一人者。新作長編『汚染訴訟』(白石朗訳)は、炭鉱汚染に潜む不正を暴く。ニューヨークの大手法律事務所を解雇されたサマンサは、田舎町の無料法律相談所に席を得る。失意の中、地元弁護士ドノヴァンと知り合うことで、利益のみ追求し、人間と自然を破壊する悪徳企業との闘いに巻き込まれる。サマンサの人間的成長が描かれる側面もあり女性にもおすすめ。

◆『相鉄沿線の不思議と謎』浜田弘明・著(じっぴコンパクト新書/税抜き900円)

 鉄道ものの出版が隆盛の中、ついにここまで来たか。浜田弘明監修で取り上げるのは『相鉄沿線の不思議と謎』だ。横浜を起点に、海老名を結ぶ本線と、湘南台を結ぶいずみ野線から成る、神奈川を走るローカル線だが、全国的には無名だろう。しかし、創業100年の歴史を持つ同沿線には、知られざる「不思議と謎」が満載だ。いつ開業か不明の延伸計画、見られたらラッキーという「黄色い車体」の正体、じつは数々のドラマロケ地として大人気の駅と、トリビアな知識が炸裂(さくれつ)する。

◆『文庫解説ワンダーランド』斎藤美奈子・著(岩波新書/税抜き840円)

 名作を読む手がかりとして、文庫巻末の解説は、名だたる書き手により作品の理解を深める。ところが斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』によれば、そうとも言えない。誰でも知る、各社から出された名作の解説を読み比べてみれば……。喜劇として読む夏目漱石『坊っちゃん』も、名うての文芸評論家は、なぜか「悲劇」と読みたがる。川端康成『雪国』『伊豆の踊子』も、主人公と作者を同一視しすぎて「読者の理解を解説が妨害してないか?」。まさに後ろから読む裏読み批評。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

 1957年、大阪府生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。主な著書に『上京する文學』『読書の腕前』など

<サンデー毎日 2017年3月12日号より>






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