大戦ブーム、中古エンジンで大もうけ – 日本経済新聞

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 明治生まれのヤンマー創業者が語る「私の履歴書復刻版」。第一世界大戦が起こると、エンジンの需要は高まり、どんどんもうけは大きくなっていきます。その一方でブローカーという仕事のあり方へいや気がさし、その気持ちが日々高まってもいきました。

大戦ブーム――ブローカーにいや気 だが笑い止まらぬ大もうけ

 ガスエンジンのブローカーで調子よくもうけながらも、私は他人から物を買ってまた他人に売りつけ、その中間で利益を取るというブローカー商売にいや気がさすことがあった。九州電燈鉄道の松永安左エ門氏に、発動用の50馬力級のガスエンジンを1台売ったときなどもそうであった。松永氏は後に“電力の鬼”といわれるようになった人だが、まだ事業家としては振り出しだったころで、いろいろな方面へ手を伸ばしておられた。出身地の長崎県壱岐島にも電灯会社を興すという話で、私が売ったエンジンを博多港から積み出したのであるが、運悪くこれを積んだ船が玄界灘の荒波にあって沈んでしまった。知らせを受けて私が博多まで駆けつけてみると、のちに関西配電に転じて社長になった市川春吉氏が、このときはまだ詰めえりの服を着た若い平社員で「お祓(はら)いまで上げて航海の安全を祈っていたのに、船頭のやつが、女を受け出して女房にしたのが海の神さんのたたりにあったのだ」としきりにぼやいていた。

 やがて海上保険会社が船ごと引き揚げたので、博多でエンジンを洗い直し、なくなった部品を調達して再び壱岐へ送ったが、これが片付いて大阪へ帰る途中の汽車の中で、急に「しまった! あのエンジンはもう使いものにならない、と言ってやれば、もう1台売れたものを……」と気がつき、騒ぎにまき込まれて商売を忘れていた自分のうかつさを一時は悔んだ。だがすぐそのあとで、他人の不幸につけ込んでもうけようとする浅ましい考えをいだいたことが情けなくなり、瀬戸内海の静かで美しい景色を車窓からながめながら、つくづくブローカー商売のいやさ、味気なさを感じたものである。

 大正3年(1914年)の夏、第一次世界大戦が突発すると産業界はにわかに活気づき、ガスエンジンの需要は急激に高まった。電力不足がガスエンジンの売れ行きに拍車をかけた。ブローカー商売はいやだ、などとは言っておれぬ。中古ガスエンジンを捜して走り回った。こんなある日、大阪瓦斯会社を訪れたところ、営業部の幹部級だった横山厳氏から、この大阪にコンサイメントの輸入ガスエンジンが30台ほど野ざらしになっている、という耳寄りの話を聞いた。ところは西区岩崎町のガス製造所付近。調べに行ってみると、川端の堤の草原で、トタン屋根の小屋の中に15馬力、20馬力、30馬力のドイツ製ガスエンジンが赤さびになっている。ストロング商会という神戸のドイツ商館が輸入したのだが、大戦になったためドイツ人支配人が帰国してしまい、あとは儘田(ままだ)という人が任されているということだった。儘田氏は、ストロング商会の閉鎖後、日本生命の勧誘員に早変わりしていたものの、任されたエンジンの処分に困っていたので、私が交渉すると1馬力当たり80円という輸入簿価で売ってくれた。私は初め、コンサイメントというのは新しいエンジンの名前のように思い違いしていたが、これは委託販売品のことだとわかった。

 しかし、なににしても、いまどき珍しいドイツ製の高級エンジンである。天満の長屋の裏にあった泉谷(いずたに)という酒屋のあき倉を借りて、そこへ運び込み、さび落としをして新品にすると、大阪朝日新聞に連日広告して売り出した。大戦で相場もはね上がり、発動機製造では1馬力450円くらいの値段をつけていたから、私もその値段で売って大もうけをした。横山氏にはタバコの敷島20個入りの箱を人力車に山盛り2台積んで持って行き、心ばかりのお礼をしたが、この人は後に大阪瓦斯で専務にまでなった。

 もちろんこんなボロイ話ばかりでなく、1台の中古エンジンを求めるのにさえ苦労したこともある。古河鉱業の秋田県の山奥にある阿仁間(あにあい)鉱山で80馬力のエンジンを買ったときなどは、道が狭くて夏場は車がはいらないため、雪の積もっている冬にソリを使って運び出したりもした。このように、文字通り八方手を尽くして中古エンジンを買いあさってきては、修理、改造して売ったのであるが、お客さんは連日絶え間がなかった。特に機屋関係からの注文が多かった。多額納税者で貴族院議員だった先代の西川甚五郎さんなども、近江八幡のかや工場に据え付けるガスエンジンを買うため、金口のタバコを吹かしながら私の家の前に立ったものである。大戦が終わったころには、私はなんと30万円以上ももうけていた。

 この連載は、1959年(昭和34年)12月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

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