U-23日本代表守備の要・植田直通。空中戦で圧倒的な存在感を見せられる理由 – BIGLOBEニュース

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中学生から本格的にサッカーの道へ

 リオデジャネイロオリンピック予選も兼ねたAFC・U-23選手権で連勝し決勝トーナメントへ進出したU-23日本代表。その守備の要となる植田直通はどんなジュニア時代を過ごしていたのだろうか。(『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.34』より一部転載)

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 テコンドーとサッカー、友達との遊びなど力いっぱい動き回った小学校時代を終えた植田は2007年、地元の住吉中学校へ進み、サッカー部に入った。この中学は緑川小と網津小の生徒が通うため、1学年は60人程度。サッカー部員は各学年約10人で、総勢30人くらいの規模だった。個人の技術レベルは網津小出身者のほうが高かったが、植田自身は負ける気はしなかったという。指導者は顧問の先生2人と外部コーチ1人と比較的恵まれてはいた。けれども、誰も来ない日も結構あり、生徒たちがシュートやボールコントロール練習をするのが定番だったようだ。

 植田は仲間とともに地道にコツコツ練習をこなしていた。そして2年になると、突如として熊本県トレセン入りのチャンスを得ることになった。

「実は小学生高学年から宇土市のトレセンには入っていたんです。その流れで県トレの選考会に行くことになった。市選抜同士の対抗戦を先生たちが見る形式で、なぜか下手な自分が選ばれたんです。

 その頃の自分はゲームがメチャメチャ好きで『県トレに受かったらプレステ3を買ってもらう』という約束を親としていました。だから、受かった帰り道に買いに行ったくらい。正直、県トレよりプレステ3のほうが大事だったんですよね」と本人は苦笑いする。

 そこから県トレセンの練習に週1回ペースで参加するようになった。植田自身にとっては想像以上に憂鬱な日々だった。

「熊本でうまいやつらばかりが集まるのに、僕は極度の人見知りでしょう。ホントに嫌で……。ポジションは右サイドハーフをやっていて、タテに飛び出してクロスをガンガン上げる感じでした。ただ、九州大会や関東での大会のメンバーには一度も入ったことがない。そんな選手でした」

 くすぶっていた当時の思いを打ち明ける。

図抜けていた身体能力の高さ

 この県トレセンで中心的存在だったのが、その後、大津、鹿島、U-22代表でともに戦うことになる盟友・豊川雄太だ。彼は内気だった植田のエピソードを披露してくれた。

「当時の県トレは小学校から一緒に上がってきた選手が多かった。植田は田舎のほうから来ていたから、溶け込みにくかったのかな。俺は気を使って話しかけていましたけど。

 ある合宿の時なんか、植田が5人部屋の隅で体育座りしていたことがあった。『俺、座布団で寝る』とか言うから『布団に寝ろよ』と返したけど、いつも遠慮がちでした。でもピッチに出ると身体能力は高かった。それだけは間違いなかったです」

 思春期でよりナーバスになる部分はあったのだろうが、戦う以上は絶対に負けてはならない。それは幼い頃から家族に叩き込まれてきた鉄則だ。中学1年生の時、尊敬する祖父の死に直面したこともあり、負けじ魂や闘争心は一段と高まっていたはずだ。自分なりに努力を続けた結果、植田は中3になって県トレセンの「セレクト20(優秀選手20人)」入り。本気でサッカー選手になることを考え始める。そこで思い描いたのが、県内屈指の高校サッカー強豪校・大津への進学だった。

「県トレの仲間がみんな大津を受けると話しているし、自分も強いところに行きたいなと。中学校の先生は『辞めろ』とか『厳しいかもしれんぞ』とか言っていましたけど、親は『行って来い』と背中を押してくれました」

 そんな植田が初めて大津高校のグランドを訪れたのは、中3の冬。住吉中の外部コーチを通じて受験前の練習参加にこぎつけたのだ。平岡監督は「身体能力抜群の子がいる」と聞きつけて興味深く感じていたという。

 ところがその日、植田は髪に寝癖をつけた状態で練習場へ行ってしまった。

「もう帰っていいよ。そんな頭でグラウンドに来るなんてありえない」

 有名監督に厳しい一言を浴びせられた植田はショックを受けたに違いない。

「『宇土のほうは嵐だったのか』と言われたと帰ってきた直通が話していました。すごく面白い先生だねと笑ったのをよく覚えています」と母・俊子さんは言う。

 その翌週、再び大津を訪れ、練習に参加すると、平岡監督はフィジカル的な非凡さをすぐに察知。自分の手元に置いて育てたいと強く感じ、「推薦の前期試験は難しいかもしれないけど、ぜひチャレンジしてほしい」と本人に伝えた。

 こうした経緯があって、植田は受験に踏み切った。試験当日には豊川ら県トレセンの仲間の姿もあった。彼らに何も話していなかったため「何だ、植田も受けるのか」と冷やかされたという。それでも本人は自分のやるべきことに集中。50m走や反復横跳び、立ち幅跳びなどの運動能力テストを次々と消化。過去にないケタ外れの得点を叩き出し、学校新記録を作ったのである。

 見事に前期試験で合格した彼は、2010年春、強豪校の扉を叩くことになった。

「心の底からヘディングが楽しくてしかたがなかった」

 土肥洋一(現東京ヴェルディGKコーチ)、巻誠一郎(現ロアッソ熊本)というワールドカップ日本代表選手を輩出している大津は熊本県内はもちろん、県外からも優秀な選手が入ってくるチーム。部員数は100人をゆうに超え、能力別チーム編成を取っている。

「トップチームは別格扱い。青いバスで帰ってきて、1年生はみんな『すげえ』と興奮している。特別な存在だったのは間違いないです」と植田も憧れの眼差しで見つめていた。田舎出身の自分がそこに入れる保証はない。本人も大きな期待は抱いていなかったが、1年の高校総体県大会では早くもメンバー入り。3年生にも負けない身体能力を平岡監督も買ったのだ。

 しかし、大津は県大会準決勝・熊本学園大付属戦にPK戦で敗れ、全国切符を逃してしまう。この直後、植田は平岡監督に直々に呼ばれ、人生を変える一言を告げられる。

「お前、今日からセンターバックをやれ」

 指揮官の中では彼をDFとして育てる構想は入学前からあったという。

「入学前の中3の春休みにサニックスカップに連れて行き、U-18日本代表がアディダスの青いウエアを着てきたのを見せて、『直通、お前はあのウエアを着るんだぞ』と言ったことがありました。本人はピンとこなかったようだけど、その時からDFにしたいという考えはありました。入学当初はFWがメインでしたけど、トップチームでは5月頃からDFで鍛え始めましたし、時々指導に来てくれた帝京の恩師・古沼(貞雄)先生にもその方向で行く相談はしていました。私の中では迷いはなかったし、日本サッカーの将来を考えてもプラスになると思いました」(平岡監督)

 運命の日以降、植田は巻誠一郎が愛用したというヘディング用ボールでの練習を毎日何百回も繰り返し、頭でのクリアのスキルを磨いた。最初の公式戦だった九州プリンスリーグ・大分トリニータU-18戦でその成果を出そうと思いきりトライしてみたところ、それまでに感じたことのない快感を覚えた。

「相手がゴールキックを蹴ってきて、センターバックの自分がいつも練習していたようにバーンと弾き返した時、なぜか自分の気持ちが最高潮に達したんです。『なんやこれ、楽しすぎやろ』って。心の底からヘディングが楽しくてしかたがなかった。この試合からセンターバックにはまりました」

CBとして世界へ羽ばたける人材

 この1ヶ月後の7月には、吉武博文監督(現FC今治育成ダイレクター)率いるU-16日本代表に抜擢され、新潟国際ユース大会に初参戦。平岡監督が半年足らず前に話した青いウエアに袖を通すのが現実になった。

「この代表のコーチが菊原志郎(現横浜Fマリノスアカデミーコーチ)で、サッカー選手に必要なスキルや戦術眼を幅広く指導してくれました。彼は『平岡さんの教え子だから丁寧に教えましたよ』と言っていたけど、彼や吉武さんのようないい指導者に出会えたことも植田にとっては大きかった。自分と全く違う成長過程を辿ってきた岩波拓也(現ヴィッセル神戸)というライバルの存在も闘争心を煽ったと思います。自分を伸ばしてくれるいい環境に恵まれたから、彼は急激に成長していったんだと思います」(平岡監督)

 その後、植田は2011年U-17ワールドカップ・ベスト8の原動力となり、2013年には鹿島入り。2014年からは鹿島で出場機会を増やすとともに、2016年リオデジャネイロ五輪を目指すU-21日本代表の主力としても活躍するようになった。2015年1月には念願だったA代表入りを果たし、同年アジアカップ(オーストラリア)にも参戦した。残念ながら出番はなかったが、「麻也(吉田=現サウサンプトン)君や先輩たちからいろいろ学ぶことができ、本当にいい機会でした」と彼自身も飛躍のきっかけを得た。

 今季の鹿島では試合出場機会をコンスタントに得られず苦しんでいるが、5月10日のFC東京戦では途中出場して空中戦で絶対的な強さを披露。チームの無失点勝利に貢献しており、彼の存在感は依然として大きい。

「『俺たちの進化は止まらない』というのが大津のテーマですけど、植田には成長速度を緩めてほしくない。後輩たちも期待して見守っていることを忘れずに頑張ってほしいです」

 恩師・平岡監督もこう強調するように、植田には世界に羽ばたく選手になってほしい。それが将来の日本サッカーの成功につながるのだから。






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