「迷子ひも」が大論争に 虐待と批判するのは子育て経験のない人? – livedoor

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 5月26日に情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)で放送された、子どもに装着する「迷子ひも」(子ども用ハーネス)の特集がインターネット上で波紋を呼んでいる。

 この迷子ひもについては、ここ数年何度か議論の対象となり、そのたびに賛否両論巻き起こっている。しかも、毎回同じような意見が集まっては、特になんの進展もないまま収束してゆく。

 反対派と賛成派の主な意見は次のようなものだ。

・反対派

「虐待しているように思える」
「ペットのようで、見ていて感じ悪い」
「親が楽をするために使っているだけではないか」
「強く引っ張れば、かえってケガをする可能性もある」

・賛成派
 
「一瞬でも目を離すと迷子になる」
「手をつなごうとしても振り払って走りだす」
「小さな子どもが2人いる場合、2人とも手をつなぐことは不可能」
「実際に危険防止のために有効で必要」

 この迷子ひもは、欧米では事故や犯罪防止として広く普及しており、日本でも急速に需要が増えているという。日本国内だけでも、迷子ひもは数百種類流通しており、利用者が多いことがわかる。

 ペットみたいとの批判的な見方をやわらげるためか、リュックサックにリードが付いたタイプの商品の人気が高く、動物型や天使の羽、人気キャラクターなどをあしらったものがよく売れているという。

 また、最近は「デジタルまいごひも」と呼ばれるハイテクな商品も出てきている。だがこれは、子どもが親から一定の距離まで離れるとアラームが鳴るというもので、走りだした子どもを物理的に止めることはできない。

 ところで、迷子ひもは中世ヨーロッパの絵画にも描かれていることから、かなり歴史は古いといえる。服にひもを縫い付けたようなものが始まりといわれ、上流階級を中心に普及していたようだ。

●迷子ひもは虐待なのか?

 テレビ番組やネット上で交わされている議論は、是か非かのそれぞれの見解がひたすら侃々諤々と繰り返されるだけで、建設的な意見はほとんどない。反対派は迷子ひもを使用する親を非難し、賛成派は必要性を必死に説いているだけだ。テレビ番組の司会者も「賛成か、反対か」といった意見を求め、議論が白熱するように誘導している。

 反対派の中に、賛成派がなぜ必要だと言っているのかを考え、具体的に迷子ひもを使わずに子どもの面倒を見る方法を示す意見が見られないのは至極残念だ。

「手をつなげばいい」「目を離さなければいい」「親の怠慢だ」などと述べる人は、恐らく子育てをしたことがないのだろう。片時も目を離さない、ずっと手を握り続けることが不可能であることは、子育てをしたことがある人なら誰でも経験しているからだ。

「道路などの危険な場所だけで使い、公園などの目的地に着いたら外してあげればいい」という見解の人もいるが、これは基本的に賛成の立場と考えられる。あくまでも使い方の問題としてとらえているからだ。

 冒頭に挙げた反対派の意見を一つずつ検討してみる。

「虐待しているように思える」という意見は、子どもに心的負担を与えているわけでもなく、体にも苦痛は与えてもいない。むしろ、子どもが危険に遭わないための使用が一般的であることから、虐待とはいえないだろう。

「親が楽をするために使っている」という意見は、確かにそのような親もいるだろう。まったく手をつなごうともせず、犬の散歩のごとく後ろからリードを持っている姿を見れば、そう感じるのももっともだ。この点については、使用する親の側に改善すべき余地があるといえる。

 また、「ケガをする可能性もある」との指摘だが、急激に強く引っ張るようなことはせず、遠くに行かないようにひもを持っているだけであれば、転ばせてケガをさせるようなことにもならないだろう。使用方法さえ気をつければいいといえる。

 このように見てくると、「ペットみたい」という見た目のイメージが最も大きな問題と考えられる。つまり、ペットみたいに見えなければ、問題は解決するのではないだろうか。迷子ひもの中には、犬用のリードと同じようなタイプも多数あるので、それは確かに印象がよくない。

 子どもも喜ぶようなかわいい製品を選び、ひもを自由に伸ばせるタイプは避ける。必要最低限の短いひもにし、基本的には常に横にいるようにする。なるべく引っ張らないように心がけ、迷子ひもを付けていても可能な限り手をつなぐ。このようにして、子どもが親から離れて親が手綱を握っているような状況を最低限にしていれば、さほど印象は悪くないのではないか。

 そもそも、今後さらに普及して街中で多くの人が使うようになれば、見慣れてきて、このような議論自体が出なくなるだろう。
(文=平沼健/ジャーナリスト)

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